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苦行と中道

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苦行・生死の境で見えるものとは何か。
私自身悟りを得たのは、26歳の時である。
過酷な日々の果てに病に倒れ、あと2日遅ければ死が待っていた。

その生死の境目で悟りを得る事は無かったのだが、
死に直面した時、今までの己を反省しこのまま何もなさずに
消えていくべきではない。何かを成し遂げなければならない。
という想いが私の足を大地に踏みとどめたのだ。
その後、療養する時の中で七十二日目、外に雪降りしきる時
一筋の光が私を照らし、悟りを得たのである。
「苦行の果てに悟り無し」というが「苦行無くして悟り無し」である。

ガウダマ・シッダルータ事、釈迦も同じ経験をしたと言えよう。

上記画像は「釈迦苦行像」であるが、
釈迦は当初、2人の仙人のもとで思想を学んだが、
どの教えも彼を満足するに至らず、
釈迦は5人の修行仲間と共に苦行に入った。
しかし、体を痛めつけたり断食をしても悟りに至る事はなく、
「何事も極端に走るのではなく中道が肝心」と苦行の無意味さに気づき、
35歳で6年続けた苦行を止めた。
他の苦行者は彼を脱落者として嘲笑したという。

釈迦はネーランジャラー河の岸辺で村娘スジャータが作ってくれた
「牛乳粥」を食べて体力を回復させると、
ガヤー村の菩提樹の下で静かに座禅を組んで瞑想に入った。
瞑想開始から49日後の12月8日未明に悟りを開き、
彼は「菩薩(修行者)」から「仏陀(覚醒者)」となったという。
ガヤー村は後に仏陀が悟った場所として
「ブッダガヤ」と呼ばれるようになる。
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